「あなたはなぜ、主の御声に聞き従わず、分捕り物に飛びかかり、主の目の前に悪を行なったのですか」Ⅰサムエル15:19

サウル王は、アマレクとの戦いにおいて「アマレクを打ち、すべてのものを聖絶せよ」と、主から命令を受けていた。しかしそれに従う事なく、羊や牛の最も良いものを惜しみ、つまらない値打ちのないものだけを聖絶した。そしてその事を「主に、いけにをささげるため」だと言い訳した。

 

しかしそれは重大な罪だった。御言葉を聞かず、捨ててしまう事であった。サムエルが「あなたは主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた」と言ったが、御言葉を無視し、自分の思いで動く事は、主の言葉を退ける事になる。どんなに自分が良かれと思っても、受け入れられない。

 

主が喜ばれるのは、自分の思う善行をする事ではなく、「御声を聞いて従う」ことだ。御声に従う時に、主のわざが成し遂げられ、栄光が現される。ある人が職場で、どうしても嫌な相手がいた。幾ら愛そうとしても出来ない。頑張るが、ますます嫌いになるばかりだ。心は苦しい。

 

ある時、もうギブアップで、自らの無力を認め、あるがままを主に祈った。その時、御霊からの促しが来た。声をかけるようにと。声などかけたくもない。しかし従う事を決心し、昼休みに声をかけた。すると何気ない話から、盛り上がり、何と互いの生い立ちにまで話が及んだ。平安な暖かい気持ちになった。自分の思いによる善行でなく、御霊の示しに従った結果だった。示しに従う事が重要だ。

 

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良い行いをしようとして、「自分が良いと思う」善行をしようとしてしまう。しかし自分の思いであって、神の御思いなのではない。祈って、神が示される事を行って行く時、必ず結実して行く。自分も主を知り、周囲にもみわざが現される。