「心に満ちていることを口が話すのです」マタイ12:34

舌では失敗してしまうものだ。舌を制御する事は誰にも出来ないと言われている。少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちていると。舌は小さな器官だが、その小さい火が大きい森を燃やすと。舌は両刃の剣であり、人を生かし、勇気づけ、建て上げる事ができるし、人を傷つけ、損ない、殺してしまう事も出来る。

 

ダビデは「主よ。私の口に見張りを置き、私のくちびるの戸を守って下さい」と祈っている。くちびるが守られるようにと。口に見張りを置いていない時、不用意に肉の言葉が出てしまう。主が飛んで、祈りから離れると、本心がひょっと出てしまい、出た言葉は取り返しのつかない事になってしまう。

 

一瞬の不用意な言葉で、長年の信頼関係が壊れ、終わってしまったと世間ではよく聞く話だ。外では外向きの顔で、言葉も自制できても、家の中ではどうだろう。甘えがあるので、気もゆるんでいて、怒りが湧いた時など、そのまま家族にぶつけて、一番大切な人たちを傷つけてしまう。相手を癒やし、励まし、建て上げる恵みの言葉が語れたらどんなに良いだろう。

 

言葉の問題でなく、心の問題だと御言葉は言う。「心に満ちていることを口が話すのです」と。主との交わりに生きる事が大切だ。心が御霊に導かれている時に、潤いと喜び平安があり、心に「余裕」「ゆとり」があって、相手に配慮を持って接する事ができる。御霊の働きによる。「もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか」

 

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舌は誰も制御できず、死の毒に満ちていると。不用意な言葉が長年の信頼関係を一瞬にして壊す。壊れた信頼関係を、再度築き上げるには多大な労力と時間を要する。舌の力をよくわきまえ、舌が守られるよう、まず心が御霊に導かれるよう祈っていよう。