「今、あなたとこのすべての民は立って、このヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地に行け」ヨシュ ア1:2 

荒野を40年旅したイスラエルの民は、ついに約束の地の前まで来た。モーセの死後、新しい指導者ヨシュアが立てられた。そして「今、あなたとこのすべての民は立って、このヨルダン川を渡り、わたしが・・与えようとしている地に行け」と命じられた。「あなたがたが足の裏で踏む所は・・あなたがたに与えている」と。主は、その地を民にすでに与えていると言われた。

 

しかし実際に自分のものとするには、「足の裏で踏む」ことが必要だった。彼らは、その地に進み入り、戦い、勝ち取らなければならなかった。踏まなければならない。ただ祈るだけで、具体的行動が無ければ、所有することが出来ない。不可能だ。実際に入って行かなければならない。これこそが「信仰」であった。

 

これは私たちの信仰生活も同様だ。主は、私たちに溢れるばかりの祝福を備えておられる。しかしそれを実際に、自分のものとするには、約束を受け取り、行動しなければならない。その時、約束のものを現実に手に入れる事になる。約束は与えられているのに、このところに欠けるために、多くのものを、まだ手にしていないだろうか。あなたも、「今」、「立って」、「行け」と言われているだろうか。

 

祈りの座から立ち上がって、実際に行動を起こせと。前進せよと言われているだろうか。信仰をもって一歩踏み出そう。一歩を踏み出した時に、主の約束が現実のものとされる。備えられた豊かなものを手にする事になる。それは踏み出さなければ、知る事が決してない。

 

・・・・・・・・・・・・

主に示された事は、実際に行動して「足の裏で踏まなければならない」とある。その時、自分のものとなる。祈りと共に、具体的行動が大切だ。今、立って、行け、と言われたなら、祈りから行動に移ろう。実際に行うことを通して、大きな祝福を受ける。