「やめよ。わたしこそ神であることを知れ」詩篇46:10

ある人が、対人関係で、非常につまずく事態が起きた。心が傷ついて、相手に腹が立ち、思い起こす度に怒りが湧いた。赦さねばならないと思うのだが、心は逆方向に向かうばかりで、憎しみと怒りが渦巻いた。しかしとがめが苦しく、何とか赦そうと頑張るが、どうにもならなかった。

 

御言葉もわかっているのに、思いが来ると怒りに支配され、その度に自己嫌悪に陥り、惨めになった。「赦せますように」と祈るのだが、赦せない。段々、「何で、あの相手のために、自分がこんなにも苦しまなければならないのか」と、別の怒りまで湧いて来る。楽しい時も、その思いが来た途端、楽しさも吹っ飛び、心は暗くなって落ち込む。

 

いい加減、こんな日々は嫌だと、主の御前に祈った。「どうしてこんな事になっているのですか!」怒り、憎しみ、惨めさ、苦しみ、平安の無さ、虚しさ・・心の底を延々、ハンナのように主に吐き出し、ぶちまけた。長い時間主の御前にいたが、不思議だが、何か心が落ち着いて来て、受け止められているという、暖かい感覚が来た。主を感じた。

 

そして祈っていると、赦せるように祈った端から、自分の力で何とかしようとしていた事に気づかされた。一言祈った途端に、すぐに自分が動き出す。自分が、自分が、を見せられた。だから出来ない。そうではなくて、主にお委ねできるようにと祈った。その時、初めて安堵が来た。委ねられるよう助けて下さると信じる事ができた。

 

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委ねようと力を入れてまた頑張る、苦い失敗をくり返しながら、自分には出来ない事、主にお任せするしかない事を御霊様は教えてくださる。自分で抱えている問題を主に渡せるように祈ろう。