「あなたの真理のうちに私を導き、私を教えてください。あなたこそ、私の救いの神、私は、あなたを一日中待ち望んでいるのです」 詩篇25:5

ある人が、生い立ちの中で様々な悲しみと苦しみを経て、心に傷を負っていた。その相手である母親をひどく恨んでいた。傷つけられるばかりで、幾ら頑張っても決して認めてもらえなかった。母親にほめられたくて、勉強もその他の事も、頑張りに頑張った。が、良い成績を取っても、一度もほめられる事は無かった。

 

心を病んだ時期があり、憎しみは更に母親に向かった。違う境遇に生まれたかったと、何度考え苦しんだか知れない。悩みの中で主に出会い、解決の無かった悶々の苦しみを、祈りに持って行けた。避け所が与えられた。主の導きを求めて行った。今まで一方的に母親が悪く、自分は被害者との意識しか無かった。

 

しかし祈りの中で、相手の非は、相手の問題であり、自分の側では、自分と神との問題がすべてである事を示された。赦せない思いと憎しみを、自分の問題として受け止めるよう導かれた。自分と神との間にそれが横たわっているから、平安が無く、苦しくてつらいのだと。問題を明らかにされた。

 

相手に関係なく、自分の罪であることを認め、悔い改めた。その時初めて、平安を経験した。何にも妨げられない、神との間の平安だった。そしてクリスチャンカウンセラーのもとで、親替えをするよう、真の親である天の御父を親として、生きて行くよう導かれた。

 

多くの時間を経る中で、自分の心が落ち着いて行き、親を客観的に見られるように、変えられて行った。どんな時にも救いがある事を経験させられた。

 

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主が共におられるから一日中、罪の告白や感謝や賛美を献げながら過ごす事ができ、知らず知らずに自分自身が大きく変わっている。主の導きだ。心にある傷も苦味も主の前に持っていこう。主がご自身の道を教えてくださる。