「おまえにお告げになったことは、どんなことだったのか。私に隠さないでくれ。もし・・私に隠すなら、神がおまえを幾重にも罰せられるように」Ⅰサムエル3:17

ハンナの切なる祈りによって、産み出されたサムエル。彼は、祭司エリのもとで養育された。ある時、サムエルは主から呼ばれた。エリに呼ばれたものと思い、エリのもとに行く。それは主の御声だと、次にはエリに教えられた通りに「お話しください。しもべは聞いております」と答えた。

 

すると、その最初のメッセージは、何とエリの家への裁きであった。「彼の家を永遠にさばく。自分の息子たちが呪いを招くような事をしていながら戒めなかった罪による」と。自分の師であるエリに伝え難い、厳しい言葉であった。サムエルはエリに語ることを恐れた。しかしエリにその通りに告げるよう言われ、主の言葉をそのまま伝えた。

 

預言者とは、神から受けた言葉を、忠実にそのまま民に語る人のことだ。どんなにつらい、痛い言葉であろうと、その通りに語らねばならない。預言者として立てられて行くサムエルへの最初のテストであったかも知れない。私たちはどうだろう。口では、「お話下さい。しもべは聞いております」、喜んで聞きますと言いつつ、だが罪の指摘や、醜い姿を照らされる痛い言葉、自分の願いと異なる言葉は聞かずに、耳をふさぐだろうか。

 

痛い言葉こそが必要な言葉であり、恵みの言葉だ。そこでこそ自分が変えられて行く。逃げず、避けずに耳を傾けよう。聖められ成長して行ける。「愛している」「共にいる」「必要を満たす」そんな言葉だけが「恵まれる」と思っていないだろうか。

 

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聞く態度は整っているだろうか。耳の痛い言葉には耳をふさいでしまいたいが、生きている限り学び変わり続けたい。耳の痛い御言葉こそ流さず立ち止まろう。