「ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさ い・・」Ⅰペテロ5:6

私たちは、よく思い煩う。この先のあの事が、ああなったら、この事が、こうなったらと、ああでもない、こうでもないと、まだ見ていない事を心配する。最悪のシナリオを描く。少し体調を崩すと、将来が不安になって仕方が無い。又、突然失業したら・・、事故に会ったら・・、このままで経済的に大丈夫なのか、あれやこれやと不安と恐れに襲われる。

 

思い煩いでいっぱいだ。「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい」とある。思い煩いを「いっさい」「すべて」「何もかも」委ねよと。主にはご計画があり、配慮があり、最善をして下さる。しかし委ねることが難しい。頭ではよくわかるのだが、委ねられない。自分が握り締めていて、手放す事が出来ない。

 

委ねると、自分が崩壊する。委ねると、物事がダメになると思ってしまう。だから握り締めて決して放せない。「神の力強い御手の下にへりくだりなさい」とある。委ねるために、へりくだりが必要だ。自分の力に頼っているので、へりくだる事ができない。自分で何とかしようと思っている。神に頼らず、自分の力に頼る事が「高ぶり」だ。

 

だから「御手の下にへりくだりれ」と。自分の力に頼っているという高ぶりを認めて、へりくだれるよう祈ろう。委ねる事ができない事を認めて、そう出来るよう祈ろう。その時、御霊が働かれ、必ずそう出来るよう助けが臨む。

 

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御手の下にへりくだれないから、自分が立ってしまい、すべての重荷が自分にかかる。重荷はずっしりと、つらくて苦しくて、担いきれない。でもへりくだれず、渡せない。自分が、自分が、何とかしなければ、と思っている。主に渡せるように、そうできるよう祈ろう。