「あなたがたのつぶやきは、この私たちに対してではなく、主に対してなのです」出エジプト 16:8

民が、出エジプトを果たし、荒野に出た後、試練がやって来た。荒野の旅での重なる疲労に加え、暑さ、これから先どうなるのかという恐れや不安、そこにエジプトから持って出た食料も尽き、食物が無く、人々はつぶやき始めた。少し前に、絶体絶命の窮地の中、目の前の海が分かれ、道が出来るという、後にも先にも無い、偉大な奇跡を見たばかりだ。

 

それにもかかわらず、喜びの叫び、溢れる大感謝は、あっという間に、手の平返しのつぶやきに変わってしまった。つぶやきとは不平不満だ。なぜ、不平不満が出るのか、それは神を信頼できないからだ。神を信じる事が出来ない。神を信じようとしない。

 

「エジプトの地で、肉なべのそばにすわり、パンを満ち足りるまで食べていた時に、主の手にかかって死んでいたらよかったのに」エジプトから何で連れ出したのか。飢え死にさせるためかと、ひどい不信仰と頑なな心を露呈した。目の前に苦しい事が起きると、以前の方がましだ、良かったと思ってしまう。

 

肝心な事は、神が導き、最善をされるという信仰と、神への感謝が見えない事だ。目の前の食料不足に、心はとらわれてしまう。それしか見えなくなる。しかし、神は必ずや与えて下さるお方だ。食料でなく、心の「苦い根」が問題だ。

 

「苦い根が芽を出して悩ましたり、これにより多くの人が汚されたりすることのないように」と。頑なな、神を信じようとしない不信仰、そこに気づき、悔い改め、良いお方を、必ず良くして下さるお方を信じて行けるよう祈ろう。御霊は助けて下さる。

 

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目の前の状態に反応してすぐに平安は失せるが、信仰によって失望やつぶやきに背を向けよう。約束の御言葉があり、今まで通り助けは来る。主の栄光が雲の中に現れるのを見よう。