「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある」伝道3:1

信仰人生の中では、苦しみ、悲しみ、嘆きの時、喜び楽しみの時・・様々な時がある。苦難の中では、八方塞がりで、何をどうしてよいのかわからない。心が苦しいばかりだ。又、離別、病、信頼関係の崩壊・・様々な悲しみを経験する。又、入学や入社試験に合格、結婚、田畑の豊作、経済的繁栄・・喜びも経験する。

 

だがそれらは未信者にとっては、すべて偶然であり、喜びがあればラッキー、ハッピーであり、悲しみ苦しみは、不運だった、巡り合わせが悪かったという事になる。そこに神は無く、意味は無い。しかし主を信じる者にとっては違う。神のなさる事は、すべて時にかなって美しいのであり、苦しみや悲しみ、喜びの中に、神を見て行ける。

 

すべてが神のなさる事であり、すべてに意味がある。そしてそこを信じて行く。様々な痛い事、つらい事が起こる。私たちの側からは刺繍の裏を見る事になるので、ぐじゃぐじゃで、秩序も何も無くただの混乱状態、カオスだ。しかし神は表を見ておられ、問題無く順調に秩序立って事が運んでいる。素晴らしい作品が出来上がりつつある。

 

私たちはプロセスの間では理解不能だが、後に美しい神のご計画である事を見い出す。美しいという事は、そこに感動があるという事だ。喜びの時も悲しみの時も、いつも主が共におられ、その中で新たに主を知り、主を経験して行ける、それこそが一番の幸いであり、喜びだ。

 

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種を蒔けば芽吹くまでの時を信じて待っている。花の芽が土の中から出てくるのは楽しみだ。自分の時の所有権も神にお渡ししたい。そして今を主と共に喜んでいたい。