「そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。『主よ。この罪を彼らに負わせないでください』こう言って、眠りについた」使徒7:60

人々への対応で忙殺される12使徒のために、助ける人々が選び出された。その中に、信仰と聖霊に満ちたステパノがいた。不思議なわざとしるしを行っていた。それが気に入らない人々は彼と議論するが、どうにも対抗できなかった。そこで人々をそそのかし、偽証させ、神冒涜の罪で議会に引っ張った。

 

そこでステパノは語り始めるが、彼の顔は御使いの顔のようだった。イスラエルの歴史をずうっと語って行く。民はいつも偶像礼拝に陥り、主は立ち返らせようとするが、それも拒み、とうとう最後には正しい方を殺してしまったと。いつも聖霊に逆らっていると。すると人々は、はらわたが煮え返る思いで彼に向かって、歯ぎしりした。

 

聖霊に満たされていたステパノは、「人の子が神の右に立っておられるのが見える」と。人々は耳をおおい、彼に殺到し、石を打ちつけた。「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と言い、息絶えた。彼は、なぜ自分を殺す人々を赦す事ができたのか。

 

まず彼は「聖霊に満たされていた」とあり、自分を全く明け渡していた人だった。自分の生涯に主の栄光が現される事を求めていた。だから聖霊に満ちていた。そして主だけ見つめていた。「人の子が・・見えます」ただ主のみを見ていた。私たちはどうだろう。赦せない相手だけを見続けていないか。

 

ますます赦せなくなる。まず自らを明け渡し聖霊に導かれる事、主を見続ける事を教えられる。主を恐れない生き方は、人を恐れる(人の目を気にする)生き方でしかないからだ。

 

--------------主から目が離れると目に見える物や人に安心を求めてしまう。安心できない人を恐れてやがて憎む。気づく度に祈りたい。何を見て行くべきか、目を上げ主に求め続けよう。