「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる」 Ⅰ列王17:1

エリヤは、飢饉の折に、最初ケリテ川でカラスに養われた。カラスが食べ物を運んで来た。川の水が枯れた時に、次に、主から「ツァレファテのやもめに命じて、あなたを養うようにしている」と指示があった。やもめに養われると聞いたので、どんな資産家のやもめかと思ったろう。 ところが、このやもめは人を養うどころか、食料も底をつき、最後のパンを食べて、後は死を待つだけという、驚くべきところにいた。彼女のたった一人の生きがいであり、命であった息子に、もう食べさせる物がないという悲惨な状況だった。人間的に考えるなら、とても自分のためにとは言えない。もっとふさわしい他の人を探すかも知れない。

 

しかしエリヤは状況でなく、主に従った。「恐れてはいけません」「まず、私のためにパン菓子を作り、持って来なさい」と。そうするなら「そのかめの粉は尽きず、そのつぼの油はなくならない」と。やもめは、信仰を試された。もしそのようにならなければ、息子に最後の食事を与えられないまま、餓死させる事になる。

 

しかしエリヤの言葉を信じて、その通りにすると、かめの粉は尽きず、つぼの油は無くならなかった。奇跡が起きた。神の国とその義とをまず第一にするなら、それに加えて、必要は満たされる。その時に、「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる」を経験して行く。

 

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人間的に見れば「まず、私のために」とは言えない状況だが、主が永遠の与え主だ。主と御言葉に寄り頼むことで難局は解決された。自分の判断はいつも信仰の成長の邪魔をするが惑わされず生きておられる主に立とう。