「パロとその戦車とその騎兵を通して、わたしが栄光を現わすとき、エジプトはわたしが主であることを知るのだ」出エジプト14:18

モーセに率いられた出エジプトの箇所だ。イスラエルの民は男子で60万人、皆で200万人とか言われているが、それが一度に脱出するとは大変な事だ。又、エジプトにとっても、労働力が突如として無くなるわけで一大事だ。出発したが、すぐに非常事態が起きた。何と、後ろからエジプト軍の精鋭部隊が追いかけて来るではないか。

 

どんどん追いついて来る。前は海で、進む事も退く事も出来ず、絶体絶命だ。民は手の平を返して、モーセをののしる。「こんな荒野に連れて来て、死なせるのか。何という事をしてくれた。エジプトにいた方が良かった」。問題が無い時は出て来ないが、問題が起きる時、試練の時、人の本性が現れ出る。

 

ずっと祈っていたであろうモーセは言った。「恐れるな」「しっかり立て」「あなたがたのために行われる主の救いを見よ」。私たちはすぐに恐れる。不安にさいなまれ、地面が揺れるほど動揺する。目の前の状況に飲み込まれてしまう。思いは飛躍して、最悪のシナリオを作り上げる。その時に、神も、御言葉も抜け落ちている。

 

まず「恐れてはならない」の御言葉に立って、状況を見る時に、心が動転していた状況が違って見える。そして「しっかり立て」自分で動かず、自分で何とかしようとせずに、主が動かれる事を信じよう。「主が戦われる」と。今、目の前に難題があるだろうか。まず「恐れるな」、心配するなと言われる。自分でどうこうせず、まず主の導きを求めよう。主が事を成し遂げられる。

 

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肉の本性はモーセを通して語られる主の言葉を信じない。簡単に御言葉の真逆に走ってしまう。恐れの中で御言葉を信じ、御言葉に立っていよう。主がこの弱い信仰に答えてくださる。