「見よ。心のまっすぐでない者は心高ぶる。しかし、正しい人はその信仰によって生きる」ハバクク2:4

ハバククは切に祈る。「助けを求めて叫んでいるのに、いつまで聞いて下さらないのか」、暴虐が起こり、裁きが曲げられていると。ユダのヨシヤ王は主に従おうと、偶像礼拝を断ち切り、次々と宗教改革を行った。イスラエルはアッシリヤに滅ぼされ、ユダはアッシリアとエジプトに挟まれていた。

 

そんな時、エジプトがアッシリアに戦いを挑むが、ユダを通らねばならない。ユダとは戦う気は無かったが、ヨシヤ王はエジプトを迎撃し、戦死してしまう。あれほどの信仰深い王が、あえなく死んだ事に、なぜどうしてとハバククは混乱し大きく動揺する。そして主は、強暴なバビロンを起こすと言われる。

 

ハバククは、悪者が正しい者を飲み込む時、なぜ黙っておられるのかと訴える。彼は真剣に祈り続けた。「主が私に何を語り、私の訴えに何と答えるかを見よう」と。主は答えられた。「もし遅くなってもそれを待て。それは必ず来る。遅れる事はない」。神の時は、私たちの時と違う。私たちは、何も動かないではないか、いつまで待つのかと焦る。

 

しかし神にとっては、遅れてはいない。それは必ず神のタイミングで来る。だから待てと。そして「正しい人はその信仰によって生きる」見えるところではなく「信仰によって生きよ。わたしを信じてついて来よ」と。私たちもそうだろうか。目の前の問題に「いつまでですか」との問いに「遅くなっても待て。必ず来る。遅れる事はない」「信仰によって生きよ」と言われている。

 

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ただ待つなら辛く、やがて無気力になってしまうが、神が時を支配しひと時待たされている。諦めではなく希望を取り戻そう。ハバククのように神にまっすぐに訴えそして祈りの答えを見張っていよう。