「義を追い求める者、主を尋ね求める者よ。わたしに聞け。あなたがたの切り出された岩、掘り出された穴を見よ」イザヤ51:1

マタイは取税人であった。当時、取税人は、ローマに代わり、ユダヤ人から税金を取り立てていた。つまり同胞から不正に取り立てて、私腹を肥やしていた。そのため同胞からは、ローマ帝国の手先とひどく嫌われ、軽蔑され、裏切り者と憎まれていた。誰からも相手にされなかった。

 

不正の罪を犯しているので、とがめがあり、自己嫌悪にも陥っていただろう。金持ちであったが、喜びは無く、決して幸せではなかった。心に暗さを抱え、孤独と虚しさの中にいただろう。そんな時に、主がマタイを「ご覧になって」「わたしについて来なさい」と御声をかけられた。「すると彼は立ち上がって、イエスに従った」。

 

主がそんなマタイの心の内を、すべてご存じで、弟子として選ばれた。マタイは即、招きに応じている。迷いが無い。大変な決心と覚悟が要るところだが、マタイは、あの聖いお方が自分のような罪人を、招いて下さった事にどんなに驚いた事だろう。そしてどんなに嬉しかったろう。彼は生涯、主に従い通して、マタイによる福音書を書く栄誉にあずかった。

 

マタイは自分の事を「取税人マタイ」と言い、どんな中から救われたかを全く隠さず、むしろ明言した。私たちも「切り出された岩、掘り出された穴を見よ」と、どんなところから救われたのか、救われていなかったら、どうなっていたのか、いつも確認する事は有益だ。どんなに感謝が溢れるだろう。