「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります」ヨハネ15:4

主は、ぶどうの木と枝のたとえで、「わたしにとどまりなさい」「つながりなさい」と言われた。「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です」と。大事な事は、わたしはぶどうの「幹」で、あなたがたは「枝」と言われていない。よく「幹」と「枝」なのだと勘違いする。

 

幹と枝がくっついているなら、祝福されるのだと。だから、懸命にくっついていなければならないと。だが、主がぶどうの木全体で、わたしたちは枝であるなら、ぶどうの木の一部であり、ぶどうの木に含まれ、ぶどうの木と一つだ。枝が、ぶどうの木につながっている時に、おのずと豊かな実を結ぶ。

 

主ご自身につながっている事とは、主と交わっている事だ。この世の書物は、ポジティブシンキングを言い、プラス思考をするなら、良く生きられると。又、勤勉に、真面目に、修業を積むなら、良い人間になれると言う。しかし主は、そうでなく「わたしにとどまれ」と言われる。

 

いつでも、どんな時も、主のもとへ行き、起こる何もかもを主に告げ、主と親しく交わって生きて行くことだ。主に心を開いて行くことだ。誰にも言えない、あるがままの自分を主に告げて、主に拠り頼んで行く。目の前の一つ一つに、「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ」とあり、すべての出来事の中に、主を認めて行く時に、主と共に生きている実感が臨む。

 

そして喜びと平安を経験して行く。又、「わたしのことばがあなたがたにとどまる」とあり、主にとどまるなら、御言葉が与えられ、それが叶えられて行くと。そして平安は何かをする事でなく、主にとどまるところから流れ来る。