「民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である」詩篇62:8

ダビデはサウル王に妬まれ、命をつけ狙われた。サウルは、女たちが笑いながら、それも繰り返して「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った」と歌う事に、プライドが傷つき、ダビデを妬みに妬み、それは憎しみとなり、殺害しようとして追い回した。

 

サウルは王であり、いつでも大軍を招集できる。ダビデは、いつも死と隣り合わせの状態だった。どんなに恐怖であったろう。自分の息子アブシャロムからも歯向かわれ、狙われ、自らが病にも陥り、もう心身ぎりぎりの大変な苦境だ。

 

ダビデは神の心にかなった人だった。信仰者になると悩みが無くなるのではない。試練、問題は必ず来る。私たちは苦しくてとにかくその問題が無くなる事を願う。しかし、苦しみの中でこそ、神が、まことに神であられる事を身をもって経験して行く。ダビデは、嘆きで疲れ果て、涙で夜ごとに寝床を漂わせと、なすすべなく、ただただ泣いて泣いて嘆いた。

 

泣けばよい。感情もことごとく主に吐き出せばよい。主は受け止めて下さっている。苦しみの中でこそ、主に拠りすがらざるを得ないので、主との深い交わりに入れられる。「主よいつまでですか」と、これが一体いつまで続くのかと、ダビデもありのままの気持ちを、率直に主に持って行っている。主は受け止めて下さっている。

 

順境の時には決して経験出来ない恵みだ。自分で何とかしようともがくのでなく、問題をすべて主に持ち出そう。ダビデは、泣き、嘆き、悲しみ、思いの丈を主にぶつけた。心を御前に注ぎ出そう。主との近い交わりを経験する。そして祈りは聞かれる。

 

・・・・・・・・・・・・・・

順境の時は感謝すればよいが、逆境の時に神に拠りすがれる。なすすべなく、すがる事しか出来ない。「助けて下さい」こそを喜んで下さるお方だ。その求めに豊かに答えて下さる。気持ちをしっかり受け止めて下さる。苦境の時、洗いざらいを主に告げよう。