「軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。しかし知恵のある人の舌は人をいやす」箴言12:18

人間関係において、言葉は人を殺すこともできるし、又、いやす事もできると言っている。言葉は、剣が人を殺すと同様に、その人の人格をズタズタに傷つける事が出来る。人から傷つく言葉を言われたり、又、自分も人を傷つける言葉を言って後悔する。人をいやす言葉を語れたらどんなに幸いだろう。

 

「心に満ちていることを口が話す」とあるように、言葉以前に、心が問題だ。憎しみが満ちていれば、トゲのある言葉となり、心に愛があれば、いやす言葉となって自然に溢れ出て来る。心が御霊に導かれ、支配されるよう求めよう。

 

又、言葉を発する時に、心に留めるべき事がある。①それは真実だろうか。憶測ではないか。事実だろうか。人づてに聞いた単なる噂話ではないか。まず真実でなければ話にならない。嘘を広める事になる。そして真実だとしても、その場で語る必要があるかどうか心に留めよう 。②それはフェアだろうか。偏見は無いか。又、その場にいない人の事は言うべきではない。その人は反論が出来ないのだから、フェアではない。③愛があるか。誰かが傷つかないか。語る時に愛があるだろうか。愛が無ければその言葉は相手に届かない。④それは有益だろうか。人を励まし、慰め、力づけ人の徳を高めるだろうか。信仰的だろうか。

 

「主よ。私の口に見張りを置き、私のくちびるの戸を守ってください」と祈っていよう。舌は誰にも制御できない、少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちていると言っている。発した言葉は取り返しがつかない。だからこそ祈りが必要で、祈りにより舌は守られ、主のために用いられて行く。

 

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うかつに言葉を発すると、ただ自分のための自分にふさわしい話し方になってしまわないか。自分の弱さを自覚し警戒し主に頼ろう。発するにふさわしい言葉を吟味し語ろう。