「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」イザヤ43:4

ある人が、親が非常に厳しい家庭で育った。何をしても、親の期待に沿うように出来ず、いつも足らず、ほめてもらった事が一度も無かった。それで思春期に、自分に自信を持てずに苦しんだ。人と比較してしまい、自分はダメで劣等感のかたまりだった。人が気になって仕方がない。

 

人前に出ると足はガクガクで、身体も震えてしまった。とても人前になど立てなかった。自分はダメ人間だと思い込んでいた。やがて学校を卒業し、家の仕事を手伝う事になった。父親のもとで、身を粉にして働いた。何とか父親に受け入れてもらいたい一心だった。少しずつ仕事も覚え、自分なりの工夫もし、軌道に乗って行った。父親が喜んでくれたのが、何よりも嬉しかった。

 

しかし心の底に根深く培われた劣等感の解決には至らなかった。心に固い動く事のないかたまりのようなものだった。心の傷だった。それが後に主に出会い「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と言われ「わたしはあなたを必要としないと言うことはできない」「弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないもの」「比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊び」と、自分が見る目と全く異なる、主が自分を見られるまなざしに出会った。

 

その時、包み込まれるように、心の奥のかたまりが溶けて、安堵と喜びが心に満ちた。本当の親である、主によって癒やされた。別の女性も、親との関係が同様で、ほめられた事が一度もなく心を病んだ。主に出会い、クリスチャンカウンセラーにかかり、真の神に親替えするよう言われた。主を親として生きるようにと、少しずつ少しずつ主の愛が実感でき、同じように癒やされて行った。

 

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周囲はどう見ようと、わたしの目には、という神の目を軸にして生きるようにされた。そこからぶれないでいよう。この神の深いご愛と慈しみにいつも支えられている。