信仰を持って祈る時、素晴らしい約束が与えられている。「祈って求めるものは、何でも、すでに受けたと信ぜよ」と。その願い通りに叶えられると。だが続きがある。誰かに対して恨み事があるなら赦してやりなさい。そうすれば、天の御父も、あなたがたの罪を赦して下さる」と。
恨み事を赦す事が言われている。赦さない心は、祈りを妨げてしまう。神があなたを赦して下さったのだから、恨み事のある相手を赦しなさいと。私たちは、しょっ中、失敗する者だ。ほんとに失敗ばかりだ。しかし主は豊かに赦し続けて下さっている。罪を犯さないのではなく、弱さのゆえに罪は犯すが、赦されて赦されて生きている。
だから、私たちも赦すべきだと。まず恨みや、憎しみや赦さない心があると、主と私たちの間にへだたりができて、祈れなくなってしまう。確信を持った祈りができない。ある人が、切実な必要があり、神の御前に出て祈っていた。しかし、幾ら祈り続けても与えられない。なおも祈っていると、その中で、心の奥にある人に対し、恨みと苦々しい思いを持ち続けている事を示された。
これが妨げとなっている事を示され、心から悔い改めて、赦した。その後、祈りが見事に答えられた。赦さない心は、祈りをさえぎってしまう。祈りの答えを受け取るために、隠れた恨み、密かな赦さない心がないかどうか、御霊に探って頂こう。取り除かれる時、すでに得たりと信じる事ができ、確信が来る、そして祈りは答えられる。
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祈るときはまず自分の罪の赦しを祈るのではないか。「人に対する恨みがあるなら赦せるように」の祈りから始めたい。恨みや憎しみの感情を主に渡して、真っ直ぐに主に向かおう。