「イエスは言われた。『その石を取りのけなさい』」ヨハネ11:39

主は、ラザロにご計画を持っておられた。そのため、ラザロが病気である事を聞かれても、決して動かれず、何と死ぬまで待たれた。そして死を確認してから、ラザロのもとへ行かれた。主のご計画は、病気を治す事ではなく、死からよみがえらせる事であったからだ。

 

迎えに出たマルタに、主は「あなたの兄弟はよみがえります」と、ラザロはよみがえると、はっきりと語られた。マリヤにも同様だった。しかし、人々は信じなかった。主が墓に行くと、ほら穴には石が立てかけてあった。「その石を取りのけなさい」と言われた。

 

しかし、死後4日経ていたので、もう臭くなっているのに、今更どうなりましょうかの戸惑いの反応であった。この石は、私たちの信じようとしない「不信仰」だ。そして「あり得ない」「不可能」との思いだ。それが信仰をさえぎっている。心の底にあるだろうか。信仰が働くためには、私たちの内側の、信じる事を拒む思いを取りのける事が必要だ。

 

「あなたの兄弟はよみがる」と言われ、「わたしは、よみがえりです・・わたしを信じる者は死んでも生きる・・このことを信じるか」と問われた主は、今一度、「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る」と言われた。そこで彼らは石を取りのけた。そして、死からよみがえったラザロを、姉妹たちのもとへ返された。

 

私たちはどうだろう。私たちの内にも、信じる事を妨げ、塞いでいる、「石」があるだろうか。信じようとしない、頑なな自我だろうか。そのまま、主のもとへ行き、不信仰を認めて、主に告白しよう。主は助けて下さり、主が信仰を与えて下さる。そして、神の栄光を見せて下さる。

 

-----------------

どうせ何をやっても駄目だろう、無理だろうと決めてかかっているから何の変化もないのではないか。主のご計画の邪魔をしている石を主に差し出し動かそう。主のご栄光を見る者となりたい。