「見よ。わたしはあなたがたのために、パンが天から降るようにする・・これは、彼らがわたしのおきてに従って歩むかどうかを、試みるためである」出エジプト16:4

モーセに導かれて、出エジプトを果たしたイスラエルの民。紅海が分かたれるという、後にも先にも無い、主の偉大な奇跡を目の当たりにした。「主に向かって歌え。主は輝かしくも勝利を収められ」と、どんなに歓喜であり、大きな感謝であったろう。しかし、荒野に出て3日後に、あれだけの大きな喜びと感謝が、その舌の根の乾かぬ内に、「水が無い」との不平不満、つぶやきに変わった。

 

次には食べ物が無いと、不満をモーセにぶつけた。こんな事なら、エジプトで死んだ方が良かったとまで言い出す。主はそれに答え、天からマナを降らせ、夕にはうずらの大群を降らせた。このマナは1日分だけと命じられていた。しかし従わずに朝まで残しておくと、虫がつき腐った。朝ごとに、各自食べる分だけ集め、残ったものは、日が高くなると熱くなり溶けた。

 

主は「朝ごとに」「各自」「食べる分だけ」と定められた。私たちもどうだろう。1日分だけと言われても、隠れて明日の分も、いや1週間先までも、集めておきたい・・「もし、翌日降らなかったらどうしよう」との思いで、主を信じられなかったら、そうしてしまうだろう。不信仰は、主に従わずに、自分の力で生きてしまう。

 

しかし、主は、荒野の40年間、毎日マナをもって養われた。これは自分で生きているのでなく、主によって生かされているという事実を叩き込もうとされた。「私は生かされている」自分で生きているのではない、「神があなたのことを心配して下さっている」これを信じる時に、心配と思い煩いから解放されて行く。心の状態はどうだろう。

 

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試練を通って学んだ事が弱いから蓄えよう、より強くなろうではなく、主にあって弱いときこそ強いの信仰に立てるようになりたい。荒野には神が常に共におられた。今日も生きている神を知り歩める。