「また、苦い根が芽を出して悩ましたり、これによって多くの人が汚されたりすることのないように」ヘブル12:15

草取りをするだろうか。草を抜く時に、根っこから抜かなければと思うが、からみつく深い根に、手こずらせられる。労力が要るので、ついうわべだけ浅く抜いて、良しにするなら、あっとう間に又、雑草だらけになる。悪い実を幾ら取り除いても、根がある限り、堂々巡りで、実はなり続ける。

 

根は隠れていて、表面からは見えない。心に潜む、憎しみ、妬み、赦せない思い、裁く思い・・その隠れた根がある限り、幾らでも悪い実が出て来る。表面は、懸命に信仰者らしく、整えようとするが、いつも同じ問題で、つまずいていないだろうか。そこが主が取り扱って下さる箇所だ。祈りに持って行き、根の部分を、御霊に探っていただこう。

 

ある人が、自分も傷つけ、相手にも傷つけられた対人関係を根に持っていた。恨みで赦せない思いがある。平安は無く、心はつらい。それで主の御前で、ことごとく打ち明け、祈っていた時に、心が照らされた。相手を責めるが、自分には甘く、自分の非は言い訳し、正当化している自分に気づかされた。アダムのように、こうなったのは相手のせい。心の底では、自分は悪いと全く思っていない。

 

この自分の姿を認めて悔い改めた。「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます」。その時、心に何にも代えられない安堵が来た。今、心に何らかの苦みがあるだろうか。その苦みを、主に持って行こう。ありのままの心を告げよう。取り扱い、導いて、癒やして行って下さる。

 

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心に苦いものがあるなら、そのまま主に持って行き、あるがままを告げて祈ろう。主は取り扱い、なすべき事を導き、その苦みを解決して下さる。心に苦みがある時、歪みが生じ、正しい判断が出来ない。苦いものを主のもとへ持って行こう。