「イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである」ヨハネ6:6

私たちは、信仰生活で、様々な必要が生じる。金銭的、物質的必要、体力的必要、霊的必要・・その時に、この目の前の必要は、本当に満たされるのだろうかと、どうしても不安になるだろうか。主は空の鳥を見よ、野の百合を見よと励まし続けて下さる。鳥は種蒔きも刈り入れもしないが、神が養っておられる。

 

百合は働きも紡ぎもしないが、綺麗に装われている。ましてや愛する子供たちのために良くして下さらない事があろうかと。エリヤがカラスに養われた箇所は有名だ。ケリテ川へ行けと言われるが、どうやって養われるのか、一見不可能に見える。しかし事実養われた。川の水を飲み、カラスが食料を運んで来た。主に不可能は無い。

 

日照りで川の水が枯れた時、やもめ女に養わせると。どんな資産家と思いきや、極貧の母子で、最後の食事をして死のうとしていると。一見、養うなど不可能だ。しかし主は最後の粉をエリヤに差し出した彼女を祝福し、飢饉のまっただ中で母子は報われ、養われた。主に不可能は無い。

 

出エジプト時に紅海を分けて、道を造られた主は、私たちの道なき所、絶体絶命、断崖絶壁であっても、道を造る事が出来る。主に不可能は一つも無い。今、四方八方手詰まりで、途方に暮れているだろうか。主は目の前に道を造られる。主は解決を持っておられる。主はすでに、“ご自分では、しようとしていることを知ってられる”。ご計画をお持ちだ。目の前に道ができて行く。

 

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出来る訳がないなら信仰はどこにあるだろう。けれど出来る訳がないと流してしまう事は多い。圧倒的に無力であっても解決に向けて祈ることはできる。そして主の解決を信じ応答していこう。