「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください」詩篇139:23

私たちは、他人の心を知ることは出来ない。目の前の人の心の底もわからない。又、自分の心すら、自分ではわからない。自分の事は、自分が一番知っていると思いがちだが、それは間違いだ。心に深く潜む思いは、自分でも知り得ない。

 

心が何だか重苦しくなる時がある。そんな時、心を探られ、自分でも気づかなかったが、心の底に「思い煩い」がある事を知る。自分では全く気づかない。御霊は、その思い煩いに気づかせ、委ねる事が出来るように助けて下さる。

 

又「傷がついた道」がある。心の奥に気づかない思いが潜んでいたりする。ある人が、級友がいて、ずっと一緒に学び遊び、大の親友だった。しかし相手がほめられると、いつも何かザラつく思いがあった。しかし仲良しの親友であり、わからなかった。主に出会い、心を御霊に照らされた時に初めて、人気があり、何でも出来て、皆に好かれる親友に、強い「妬み」があった事を知らされた。絶対に認めたくないので、気づかない。

 

ある人は、熟年になって初めて、自分の底に強い「憎しみ」がある事を知らされ、こんな思いがあるとは全く気づかなかったと。ある人は、自分では気づかなかったが、自分を批判した人たちを、ずっと憎んで「赦せない思い」が潜んでいた事を示された。自分で自分の内側はなかなかわからない。

 

自分の心の奥底を差し出し、祈る時に、主が導いて自由にして下さる。主は、心の底の何もかもをご存じで、受け止め、理解し、癒やして下さる。この方のもとへ行く時、隠れ潜んだ、傷のついた道を、修復して下さる。肉の思いを捨て去って行ける。自由に自由にされて行く。

 

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心にいつもではないが、場面によりザラつく思いがあり、重苦しくなり、平安が無くなる時、御霊に心の奥を探って頂こう。何かが潜んでいる。主は一つ一つ解き放ち、自由にし、癒やして行き、喜びと平安を増して行って下さる。