「しかし、良い地に落ちるとは、こういう人たちのことです。正しい、良い心でみことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせるのです」ルカ8:15

実を結ぶとは、みことばを聞いて、しっかりと守ることだと言っている。つまり、みことばを聞くだけでなく、聞いて受け入れ、従って行くことだと。聞くことは喜んで聞くが、それで終わってしまっている事が多かったりする。御言葉を聞く事は大切とわかっているので、聞いたという事で満足してしまう。しかし、道ばた、土の薄い岩地、いばらの地は、全く実を結ぶ事なく枯れてしまったと。

 

道ばたとは、御言葉をぼおっ~と聞くので、右から左へと流れてしまう。他の事を考えていたりする。又、自分の事として聞かないので、他人事の傍観者となる。又、偏見や自分の強い思いにより御言葉をはじいてしまう。心に入らない。岩地は、根が下に伸びようとすると、固い岩である自我にぶつかり、枯れてしまう。

 

いばらの地は、根は芽が出るのだが、いばら=世の思い煩い、富の惑わしでふさがれる。優先順位がこの世のもの優先となり、御言葉がふさがれてしまう。御言葉は種であり、いのちだ。聞いた御言葉を反すうする事が大切だ。反すうして行く時、御言葉が心にとどまり、宿り、糧とされて行く。御言葉が、生活の中に根ざして行く。

 

御言葉を一心に見つめて離れない時に、実行できると。そして、御言葉を口から離さず、御言葉を喜びとし、昼も夜もそれを口ずさめと。そうするなら守り行なう事ができる。それは水路のそばに植わわった木となり、必ず実がなり、その葉は枯れない。いつもみずみずしく葉は生い茂る。御言葉により生き生きと喜びもって生きて行ける。

 

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御言葉は大切だ。とにかく祈りと御言葉から離れないでいよう。御言葉から慰めや励まし、指針が来る。どんな中でも生きて行け、乗り越えて行ける。御言葉に耳を傾けよう。肉は安逸へと流れるので、そう出来るよう祈ろう。