「しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました」ルカ22:32

失敗した事の無い人はいない。人間であるので必ず失敗する。失敗しない人はいない。しかし失敗で終わらず、そこから学ぶ事が大切だ。それには、まず失敗をきちんと認める事が大切だ。認めたくなくて、目をそらし、無かった事にし、認めないなら、前に進む事ができない。成長も無い。

 

どんな場合も、主の御前で失敗をきちんと認めるなら、赦されて、必ず前に進んで行ける。そこには新たな展開があり、恵みが備えられている。自分自身が修正され成長へと導かれる。必ず益とされる。ペテロも弟子たちも失敗した。主を裏切り、見捨てて逃げた。しかし彼らは建て直され、主の昇天後、聖霊に満たされ、宣教のために大いに用いられて行った。

 

ペテロは失敗をして初めて、自分の本当の姿を知った。自信満々であったのが、実はいざとなれば、主を捨ててしまう臆病で保身の情けない姿を、弱さを思い知らされた。ペテロは砕かれて、回復させられ、諸教会のリーダーとして用いられた。モーセも同様だった。エジプトで王子であった時、自分の力で、同胞を救おうとして、見事に失敗し、ミデヤンの地に逃れた。

 

地位、名誉、富、栄光、何もかもを無くした荒野で、砕かれ、訓練され、出エジプトのリーダーとして着々と準備された。そして偉大な働きに用いられた。主は失敗しないようにと祈られたのでなく、信仰が無くならないよう祈られた。私たちも失敗をするが、砕き、練られ、成長させられて行く。

 

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失敗を認め、弱い所を知らされるなら次からの祈りの課題にしていける。失敗はするが落ち込まず、その度に砕かれて主により頼んでいこう。主の祈りがある。