「あなたが正しいとされるのは、あなたのことばによるのであり、 罪に定められるのも、あなたのことばによるのです」 (マタイの福音書12:37)

私たちの口から発する言葉は重要だ。そこには思考、思い、気持ち、感情の現れがある。日々家庭で、学校で、職場で、近隣で発する言葉は自分自身の現れだ。内にあるものが外に出たものだ。言葉となって、内にあるものが現れ出る。「良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。

 

なぜなら人の口は、心に満ちているものを話す」と。心に無いものではなく、心にあるものを口が話していると、真理のみ言葉が言っている。屈折した言葉は、ねじれた心から出て来る。荒んだ言葉は、荒んだ心から出て来る。心が喜びで満ちているなら出ない。偽りで塗り固められた言葉は、偽りの心から出て来る。心が問題だと。

 

心に愛があるなら、慰め、励ましの言葉が出て来る。その人のために祈っているなら、その人と接する時に、必ず何らかの慰めや力づけの言葉や態度となって、自然に現れ出る。それは相手を建て上げて行く。ある人が、心にあるものを口が話すとあるが、自分はへつらいを言ってしまったり、良い人を装ったり、心にも無い事を言ってしまう。

 

それは自分の心が真実でなく、誠実でない事だと悔い改めさせられたと。言葉の原因は心にあると言われているので、心がいつも御霊に導かれて、御霊に助けられて、御霊と共にあることが大切だ。御霊に導かれ、満たされて行くと、自然と心から喜びや平安の言葉が湧き出て来る。

 

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いくら婉曲に言っても心にあるものはどこかに滲み出てくる。自分の利益のためだけの言葉ならその源を主に差し出そう。今日会い、言葉を交わすその人のために祈ろう。