「人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る」箴言19:21

人は、自分の思いがあり、プランがある。ある時は、どうしてもとの強い思いがある。しかし神にもプランがある。ヨセフの生涯に神のプランを見せられる。父親の偏愛により、兄たちの妬みを買い、隊商に売られる。奴隷として思いもよらぬ異国の地へ。孤独、不安、恐れ、いかばかりだったろう。

 

しかし主は共におられた。ヨセフは腐らずに、買い取られた主人に忠実に仕え、主人に認められ、全財産を任せられた。「主が共におられたので」が鍵だ。これは主による事で、主の計らいであった。しかし、又も、苦難が臨み、無実の罪で投獄に。しかし、そこでも「主が共におられ、監獄長の心にかなうようにされ」模範囚となりすべての囚人の管理を任された。

 

やがて出獄かと期待が膨らんだが、献酌官長との約束は忘れられ、又、2年が過ぎた。神の時は何と長いのだろう。結果的には2年だが、その渦中では、どんなに試され、信仰が試みられ、忍耐を要した事だろう。最終的に主はヨセフを総理大臣とされた。飢饉の中、ヤコブや兄弟たちの命を救う事になる。

 

そのために神が先にヨセフを送られた。神のプランは思いも及ばない、想定外であったが、結果的に一族の命が救われた。私たちにも自分のプランがある。しかし神の計画は、遙かに優っている。ヨセフは神の計画を中を歩み、信仰も品格も練り上げられ、使命を全うできた。

 

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自分の思いは強く、これが最善としか思えなくなる。しかし人には先は全く見えず、目の前しか見えていない。明日の事もわからない。自分のプランと主のプランが衝突した時には、自分を捨てて、主に従えるよう祈ろう。祈る時、選択できるよう御霊の助けが臨む。