「もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、すなわち、愛する兄弟としてです・・私を迎えるように彼を迎えてやってください」 ピレモン16

ローマで獄中にあったパウロが、オネシモの事で、ピレモンに宛てた書簡だ。オネシモは、主人ピレモンの奴隷であったが、主人のもとで盗みを働き逃亡した。ローマにまで逃げたが、捕らえられて投獄の身となった。だが、そこでパウロに出会い、回心した。信仰者になったオネシモは、獄中でパウロに仕えていた。

 

パウロは「獄中で生んだ我が子オネシモ」と言っている。そして今やオネシモは変えられて、以前は役に立たなかったが、「役に立つ者」だと。彼の悔い改めが本物であったようだ。しかしピレモンの奴隷なので、パウロはオネシモをピレモンのもとへ送り返したいと思っていた。

 

そこでパウロはピレモンに、オネシモを赦して、受け入れてくれるよう執り成している。弁償はすべて自分がするからと。奴隷であるオネシモは取り返しのつかない罪を犯してしまった。本来なら逃亡奴隷は死罪だ。しかし神の側から見ると、神視点に立つと、全く違う見方になる。そこに神の摂理があって「しばらくの間あなたから離されたのは、あなたが彼を永久に取り戻すため」となる。

 

何という赦しとあわれみだろう。何と希望があることだろう。どんな人生も、愛なる主のもとでは、人生が全く変わったものとなってしまう。人の失望の時は、神のご計画の時と言われているが、すべてが主の御手の中で益と変えられ、栄光と導かれて行く。主のあわれみは尽きない。

 

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どこまでも愛と赦しの中で生きる者に変えられた。その恵みを覚え留まることで対人関係もがらりと変わるのではないか。赦されたのだから赦そう。主の愛に押し出され歩もう。