「天の御国は、自分のぶどう園で働く労務者を雇いに朝早く出かけた主人のようなものです」マタイ20:1

ぶどう園の主人のたとえ話は、ペテロの質問への答えの中で語られている。その質問は「私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってきました。ついては、私たちは何がもらえるのか」だ。主はそれに答えて「先の者があとになり、あとの者が先になる」と言われた。若い金持ちの役人が、富を捨てる事ができず、主のもとを去った出来事のあとに続いている。

 

それを見てペテロは、彼は去ったが、自分たちは何もかも捨てて、従っているのだから、何をもらえるのかと。その言葉を受けて、主はこの話をされた。これは天の御国の価値観であり、先の者があとになり、あとの者が先になると。この世の価値観と正反対だ。主人は、労働時間の長さに従い、ではなく逆の順で賃金を払い出した。

 

1時間~12時間労働まで、何とすべて同額だ。早朝からの者からは、怒りと不満が噴出だ。だが主人は何の不正もしていない。契約をきちんと履行している。天の御国はこの世とは全く違う。神の恵みが支配する世界だ。

 

受けるに値しない者に与えられる贈り物だ。そして「自分のものを自分の思うようにする」神の絶対的な主権の世界だ。 「気前のいい」主人であり、溢れるばかりに与えて下さるお方だ。「天の御国は・・ぶどう園の主人のようなもの」ここでの主役は労務者でなく「主人」だ。どうしても労務者側で見てしまうが。神の御国は、神が崇められ、神の栄光のための場所だ。これが御国の価値観だ。受けるに値しない者が受ける、恵みでおおわれた世界だ。

 

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神との関係には受けて当然の報酬などなく、受けるに値しない者がただで恵みを受けていて、全てに同じ救いが与えられている。何という深いご愛だろう。