「子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです」エペソ6:1

「そうしたらあなたはしあわせになり」と、約束が伴っている。親は子供に良かれと、子供のためを思い、良い人間になって欲しくて、厳しくしつけをし、叱る。しかし子供の側では、親の心がわからず、自分を嫌いだから叱り、自分は愛されていないから、叱られると思ったりする。

 

親も親で、子供を思う気持ちと裏腹に、実は、子供のためと言いつつ、子供を自分の思い通りにしようとする。自分の願望を子供に押しつけ、子供によって自己実現しようとする。子供の人生を乗っ取っていたりする。そうであれば、子供を愛していると言いつつ、実は愛しているのは自分だ。子供を歪ませ、損なってしまう。

 

子供の側としては、親を敬い、従う事は神の御心だ。神の喜ばれる事だ。又、「良い」父と母、「立派な尊敬できる」父と母なら敬い、従えとは言っていない。「あなたの」父と母だ。虐待親からは、離れなければならないが、そうでなく口やかましい親、お節介過ぎる親、欠点だらけの親がいるかも知れない。

 

しかしその親を見下し、憎むなら、神との関係にひびが入ってしまう。神を見上げ、敬うことができなくなってしまう。「天の父なる神」と「自分の父」が重なってしまうのだ。上に立つ権威にも従う事が難しくなる。親を否定すると自分を否定するようになり、苦しくなってしまう。

 

親を敬う事は、取りも直さず、あなたの幸せのためだと言っている。難しければ、そうできるよう、主に祈り求めよう。主は祈りに答えて下さる。親子関係を少しずつ少しずつ導き、みわざを成し遂げて下さる。

 

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愛するのに努力の要る親子関係もあるだろう。けれど親子の関係に神を認めていこう。親を敬えとは神の勧告であり、それによって自分自身が祝福され幸せに至る道だ。