「それであなたがたもまた、今晩ここにとどまりなさい。主が私に何かほかのことをお告げになるかどうか確かめましょう」 民数記22:19

モアブ王バラクは、バラムにイスラエルを呪うようにと要請した。その時、バラムには神の御心がはっきりと告げられた。神の示しは「彼らと一緒に行ってはならない。民を呪ってもいけない。その民は祝福されているからだ」と。しかし更なる使いが来た時に、バラムは「主が、私に何かほかのことをお告げになるかどうか確かめましょう」との態度だった。

 

御心がはっきりしているのに、それ以上何を聞く事があろう。次には、従うことがあるだけだ。そのところで実行する事が、御心であり、求められている事だ。私たちも同じ事をしていないだろうか。結局のところ、神の御心は建前で、自分の都合の良い事を言って欲しい。自分の思いを遂げたい。それを求めてどこまでも巡る。

 

ある人が、ありとあらゆる偶像を巡りに巡った。自分の求めている答えを得るまで、拝み屋を次々と回り歩いた。その人は答えがすでに決まっていて、承認印が欲しい。私たちもしばしば、答えを求めているのでなく、承認を求めている。自分の思い、自分のしたい事はすでに決まっている。しかし、いつでも主の御前に悔い改め、助けを求めることができる。御霊は自らの状態に気づかせて下さる。

 

あなたも御心を示されているのに、なおも祈っている状態だろうか。行動に移したくないので、ぐずぐずしている。その示された事柄に、信仰もって従おう。その一歩に従うと、次に又展開がある。まず目の前の御心に従う事が大切だ。それなしに何も始まらない。一歩、前に進もう。

 

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はっきりと示されている導きに従えない事、その弱さも不信仰も自分自身で認めていよう。次の一歩が主から与えられる。他の導きを探っている事に気づいたら感謝だ。また最初の導きに戻れる。