「まことに、人の救いはむなしいものです。神によって、私たちは力ある働きをします。神こそ、私たちの敵を踏みつけられる方です」 詩篇60:11

イスラエルはペリシテや、モアブやエドムに苦しめられていた。ダビデがツォバの王と戦っていた時、アラムがツォバ王を助けに来て、又、エドムも攻めて来た。苦難のまっただ中だ。神が「地をゆるがせ、引き裂かれ」、神が「御民に苦難をなめさせ」られ、神が「拒み、破り、怒られ、顔をそむけられた」と言い、「あなたの右の手で救って下さい。答えて下さい」と主に救いを求めて祈っている。

 

主にあるがままを申し上げ、祈ることがまず大切だ。そして旗を授けられたと。それは弓にかえて、ひらめかせるためと。弓に頼らず旗をひらめかせよと。弓は武力の象徴だ。自分の力、考えだ。そうでなく、信仰、神への信頼の旗をひらめかせることが大切だ。あなたも今、窮地にあり、右往左往しているだろうか。

 

自分の思い、能力、今までの経験、方法を駆使して、解決を図っているだろうか。主は、それらの弓を捨てて、旗をひらめかせよ、信仰に立てと言われている。人の救いは虚しく、神によって力ある働きをする。自分の力、知恵、方法は虚しい。又あらゆる状況の中に、必ず神の御心があり、その御心を求めて歩むことが旗をひらめかせることだ。

 

あなたにとっての弓は何だろう。自分の力、思い、方法だろうか。弓を捨てるなら、武力を捨てる事になるが、主は代わりに旗を授けて下さった。信仰を下さった。それをひらめかせる時、「この戦いは主の戦い」に立てて、主に拠り頼める。その時、主によって力ある働きとされる。

 

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問題の解決を主の視点ではっきり見て闘うことは難しい。いつも祈っていよう。見えない目、聞こえない耳が開かれ、主の導きを頼りに主の方法で勝利したい。