「神はそのまなかにいまし、その都はゆるがない。神は夜明け前にこれを助けられる」詩篇46:5

主は戦いを止めさせ、弓を折り、槍を断ち切り、戦車を焼かれた。そして「やめよ。わたしこそ神であることを知れ」と。「わたしは国々の間で崇められ、地の上で崇められる」と。エルサレムの人々に、主がもたらされた勝利を、敗北した敵の姿、その様子、主の戦勝の品々を見よと告げられている。そして、主が戦われ、主が勝利をおさめられたという事を。

 

「やめよ」とは、自分で動くな、人間的な知恵、方策によって、どうこうするのを止めよという事だ。肉の力で戦うのではなく、その肉に、自分に死んで、御霊に支配されて、御霊の導きに従って行くのが真の信仰生活だ。神はそのまなかにいまし、その都はゆるがない。神は夜明け前にこれを助けられるとあり、神は都の真ん中に臨在され、その都はゆるがない。

 

神は私たち一人一人のただ中に臨在されるので、私たちは何があっても揺るがない。不安な事や思い煩う事態、非常な恐れに襲われる事、信仰生活で様々な事態が生じる。しかしその時こそ「わたしこそ神である」ことを知れる時だ。「やめよ」、自分の思いで動くのは止めて、目に見えない神を信じよう。

 

そしてああなったら、こうなったらの思い煩いを止めよと。「神はわれらの避け所、力、そこにある助け」だ。「主のみわざを見よ」今までどんなに良くして下さっただろう。必ず折にかなった助けがあり、奇跡があり、幾度もみわざを見て来た。「やめよ」、目の前の状況に慌てず、まず落ち着いて、主に信頼しよう。「苦しむとき、そこにある助け」必ず助けられる。

 

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ああなったら、こうなったらと落ち着かず心が騒ぐ時、「やめよ」との主の言葉を信仰を持って聞いていこう。苦しむ時の、そこにある助けは揺るがない主の御言葉。そこに身を避けていよう。