「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません」詩篇23:1

主は、何も思い煩うなと言われるのに、なぜ思い煩うのだろうか。思い煩いは、目の前の事態に対して、自分の力で対応できないところから生じる。つまりは、自分が何とかしようとして、できないから思い煩っている。すべてが自分の肩にかかっているので、重くて苦しくてたまらない。どうしていいかわからない。

 

この経済問題、あの対人関係、目の前の状況、また先の事、果ては老後の事まで。自分の力を越えている。そのため思い煩でいっぱいだ。思い煩いから守られるためには、底に、真の「安心感」が必要だ。自分一人で人生を歩んでいるのではない。自分には羊飼いがいる、自分はその羊だ。

 

羊飼いは、絶えず愛と慈しみのまなざしで、自分を見つめ、あらゆる配慮をし、世話をし、食物を与え、病気から守り、すべての危険から守ってくれる。「主は私の羊飼い」であり、良い羊飼いは羊のためにいのちを捨てる。羊飼いに守られているという事実から、安心感、安らぎが来る。

 

日々羊飼いを意識しているだろうか。羊飼いは、羊に病気、けが、傷、痛みはないか、何かの必要は無いか、常にチェックする。そして最善の対処をする。もし過去に傷があるなら、主こそ癒やし主だ。癒やして下さる。

 

「心の傷ついた者を癒やすために、わたしを遣わされた」。 「心が傷んでいます」とそのままを主に告げよう。「わたしは、わたしのものを知っている」、心の隅々までご存じの主が、最善をして下さる。羊飼いが絶えず共にいて、愛のまなざしを注いで下さっていることをしっかり覚えよう。

 

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満たされるものを自分の経験や知恵で探そうとして疲れていないだろうか。日々主の元で慰めを受け、励まされ真に生きかえろう。主が羊飼い、頼りない歩みの傍にはいつも主が共におられる。