「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい」ヨハネ14:1

私たちは信仰人生で、様々な事態に遭遇する。時に、思いもよらない不意の事態にでくわす。突然の経済的苦境、倒産だったり、リストラだったり、想定外の多額の出費だったり、又、病気やけがをする。事故に会ったりする。

 

対人関係で苦しんだり、一生懸命努力し勉強したのに、入学試験や入社試験に不合格だったりする。 そんな時、私たちは「なぜ?」「どうして?」と戸惑う。主には与える事ができたのにと。しかし雀一羽さえ父のお許しなしには、地に落ちることはない。頭の毛さえも、みな数えられていると。又、主が捕らえられ時、主は「わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今わたしの配下に置いていただくことができないとでも思うのですか」と言われた。

 

神に不可能は一つもない。何でもお出来になる。その許しの中で、起きている出来事だ。一見、負の事だが、教えようとされている事があり、メッセージがある。学ばせたい事はあるが、あるいはヨブの場合のように、「理由」は明らかにされない事もある。信仰を用いて、信仰の目で見るようにされる。

 

なぜだか、わからない事もある。理解不能な中でこそ、私たちは神に「信頼」を献げることができる。今、真っ暗なトンネルの中だろうか。見えない中で、何がどうなっているのか、理解できないが、神を「信頼」する事、これを神は喜ばれる。信じる事を求められている。「信頼」をお献げしよう。

 

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なぜ、どうしてと心は騒ぐが、その思いも神に差し出していこう。全ての災いと思える事も御神を通って来ると深い信頼の中で、今の必要な助けを祈ろう。