「仕事に取りかかれ。わたしがあなたがたとともにいるからだ。ー 主の御告げー」ハガイ2:4

信仰生活で、神の「時」と、神の「みこころ」は、非常に大切な事柄だ。すべての事に、美しい「神の時」がある。そして同時に、神は、私たち一人一人に、「みこころ」を持っておられる。宮の再建が中断したままであったが、民は、まだ今でなくてもよいからと、都合の良い言い訳をしていた。

 

しかし、その本心は、主のことが第一なのではなく、自分の事と自分の家の事で忙しく、それが第一であり、主の宮の事まで、時間も労力も無かった。手が回らなかったのだ。自分の好きな事は快適であり、心地良く、幾らでもできる。時間も労力も財も幾らでも割ける。全く苦にならないのだ。

 

自分の好きな事、自己実現の生きがいや仕事や趣味・・一見合法的で、悪い事ではなく、罪でないので、没頭していて全く気づかなかったりする。幾らでも労力を注げる。しかし、現に神の時が来ていた。宮を建てよ、栄光を現すと言われる。仕事に取りかかれと。あなたに何かの神のみこころを示しておられるだろうか。自分の事に夢中で、見ようとしていないだろうか。

 

中断したままの事があるだろうか。うすうす気づいていて、心で言い訳し、弁解している事はどうだろう。今、示されている事があるなら、その御心に取りかかろう。「山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、わたしの栄光を現わそう」と言われている。

 

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神の時が示されているのに「自分の生活のために走り回っていた」なら、それも期待したような成果はなかったとある。今せよと言われる事を悟り、逃げずに従おう。