「なぜこのようなことをたくらんだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ」使徒5:4

聖霊の力強い働きにより、教会は一つとされ、非常に強くされていた。信じた人々は、心と思いが一つであり、誰一人持ち物を自分のものと言わず、全部を共有にしていた。自発的、自由意志により財産を共有にしていた。そう出来たのは、人の力や統制力ではなく、「大きな恵みがこのすべての者の上にあった」ゆえであった。 恵みによる事であった。

 

貧しい人々への愛があった。そんな中、バルナバが畑を売って、その全代金を献げた。神の愛に動かされた自発的行為だった。アナニヤとサッピラは、それが人々の賞賛の的になるのを目にした。そこにサタンの誘惑が来た。彼らも人々からの賞賛が欲しくて、持ち物を売り、その一部を持って来た。

 

しかし全部の振りをした。それは神など無く、自分の栄誉のためだった。「妻も承知の上で」夫婦の合意のもと、一致して欺きの行為をした。そこに聖霊が介入された。それは聖霊を欺いたのだと。聖霊をだます行為であった。信仰に偽りが入ると、信仰は破船してしまう。初代教会に、この「偽り」が入る事を阻止された。

 

賞賛を得たくて、人前に良い人の「振り」をし、嘘をつく事は、悪魔からの誘惑であり、それは聖霊をだます事になる。「もともとあなたのものであり、売ってからもあなたの自由」と。彼らの問題は、全部献げる事どうこうでなく、良く見られたくて、嘘をついた「偽善」にあった。彼らの息が絶えた時、教会全体に非常な恐れが生じた。主を畏れ、聖なる神の権威が現された。

 

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良く思われたいとの誘惑はいつも来るが、欺きの罪こそ恐れよう。聖い神の前に正直な自分でいたい。神が憐れみ一歩ずつ導いてくださる。