「しかし、彼らが自分たちの間で自分を量ったり、比較したりしているのは、知恵のないことなのです」Ⅱコリント10:12

百合とバラが優劣を競ったらどうだろう。百合が好きな人、バラが好きな人、それぞれの好みがあり、人それぞれの好きずきで、花に優劣は無い。好みだ。車とバイクと自転車ならどうだろう。それぞれの特性があり、用途が違い、役割が違う。それぞれ独自の利点がある。優劣は無い。比較の対象にならない。

 

又、一流レストランと大衆食堂はどうだろう。それぞれの特性、利点、良さがあり、比較にならない。一流レストランは素晴らしいが、下町の食堂には、味わいがある。それぞれの持ち味が異なる。ましてや神によって創られた私たち一人一人はどうだろう。一人一人がユニーク、唯一で、それぞれが全く違う。同じものは二つとなく、代わりがきかない。かけがえがない。隣人と自分は全く異なる。異なるので比較が出来ない。比較にならない。

 

それなのに比較によって、劣等感へと落ち込み、優越感へと高ぶり、アップダウンを繰り返す。無益で的はずれだ。自分を量る手段が無いので、どうしても目に見える人との差異で量る事になる。しかし主は愚かで、知恵の無い事だと。

 

主が決められて、今の境遇と今の場に、私たち一人一人を置かれた。主が決められたことだ。そこを認め、受け入れる時、世にはない御霊の平安が臨む。そして満足できる。喜びと感謝が生まれる。そしてその時、平安に、与えられた賜物を十分に用いて行ける。

 

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この世では、自分を量るのに横を見て、人との差異でしか量りようがない。そのため必ず比較に生きている。それしか生きようがない。その価値観が根深い事に気づき、御霊に比較の度に気づかせて頂こう。信仰者は上を見ることができる。そこに救いがあり、解放がある。