「ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、『マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください』と懇願するのであった」使徒16:9

アジアで宣教する事を聖霊に禁じられ、フルギヤ・ガラテヤの地方を通った。ムシヤに面した所に来た時、ビテニヤの方に行こうとしたが、それも聖霊に禁じられた。それでトロアスに下った時に、パウロがマケドニア人の幻を見た。「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願したのだった。

 

それまでずっと祈り続けていた事だろう。環境を見て、進路を止められる事を通して別の道を探り、よく考え、判断した結果、結論を下した。それは神がマケドニヤへ導いておられるという事だ。「私たちはただちにマケドニヤに出かけることにした」と。「確信したからである」とあり、それは明確な「確信」に至った。

 

「私たちは、確信した」とあるように、パウロと同行者も、皆で一致して、平安が与えられた結論だ。私たちもここで学ぶ事が出来る。日常生活で、みこころを求める時に、環境、起こる出来事をよく見て、祈りによる平安と御言葉により判断する時に、はっきり確信に導かれるという事だ。あなたは今、どの方向に進めば良いか迷っているだろうか。

 

目の前の事態をどうしてよいかわからないでいるだろうか。神は必ず「確信」を与え、行動できるようにして下さる。環境、祈りによる平安、御言葉、それらを総合し、よく考えて行く時に、正しい判断に必ず導かれる。平安を持って「確信して」御心へと進んで行ける。 

 

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御心はどこにあるのか祈り心で御言葉を開こう。御言葉や環境に反している自分の願いや計画が示されたら感謝だ。真に正しい判断は一致がある。主に仰ぎ確信を持って歩みたい。