「私たちにではなく、主よ、私たちにではなく、あなたの恵みとまことのために、栄光を、ただあなたの御名にのみ帰してください」 詩篇115:1

ある人が、職場で、主を証ししたいと願った。しかし、気持ちはあるのだが、人前に出ると、気後れがしてどうしても話せない。臆病になってしまい、勇気が出ない。人を恐れてしまう。又、どう話してよいかもわからない。どう切り出したら良いのだろう。証ししたい思いはあるのだが、出来ないまま日々が過ぎて行った。

 

主がこんなに愛して下さっているのに、申し訳ない。そんな悶々とした思いを、あるがまま主に告げて、祈った。「ごめんなさい。勇気が無くて言えません。人を恐れています。どう思われるかとも気にしています。助けて下さい。言えるようにして下さい」と心にある思いを率直に祈って行った。

 

帰宅しては祈り、そんな数日後だった。突然、職場のチーフに「○○さんはクリスチャンなの?」と何気ない感じで聞かれた。驚いて「はい、そうです」と瞬間に答えることができて、教会へのきっかけや、今、喜びと平安が与えられていること、聖書や教会の事など、自然に自由に話すことができた。近くにいた同僚たちも加わり、話が盛り上がった。証しが与えられたのだった。

 

祈りの答えに心から感謝した。後日に、福音のトラクトを一人一人に手渡せた。主の恵みは十分で、弱さの中に働かれることを見せられた。自分の力で出来たなら、自分を誇っていただろう。しかし、心底、ただただ主に栄光を帰することができて、御名を崇め、心からの感謝に溢れた。

 

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無力は恵みであり、弱さの中にこそ主の力が働く。弱いからこそ、出来ないからこそ、主にすがりつき、主に拠り頼み、必死に助けを求める。主の力により、物事が成し遂げられて行く。その結果、自分を誇ることなく、主に栄光を帰して行く。