「・・キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです」ローマ8:11

ある人が若い時に非行に走った。親は親として機能しておらず、ぐちゃぐちゃな機能不全家庭の、不幸な生い立ちだった。しかし主に出会い、主に従うようになって、ある時、気づかされた。確かに生い立ちは、滅茶苦茶不幸だし、親にも恵まれなかったかも知れない。しかし、心を屈折させ、ひがんでグレる事を選択するのは、紛れもなく自分なのだと。

 

他人は選択できない。どこまでも自分自身の選択なのだと。ひがむ事、グレる事を拒否する選択もできたはずだ。そうであるなら、これから神に従う道を選択して行きたいと。心からそう思った。私たちも同様だ。サタンは肉に働いて来て、罪に引き込もうと凄まじく攻撃して来る。人には優しい言葉をかけ、寛容な愛深い態度をと思っても、つい肉はイラ立ち、とげとげしくなる。

 

又、きつい言葉を向けられると、肉は、即、言い返したくなる。報復したい。しかし御霊はそうでなく、まず祈れと言われる。肉と御霊の二つが相反し引っ張る。そのつど「できません。自我が強いです。助けて下さい」と助けを求め、明け渡そう。

 

自我は頑なで、御霊を選択しようとの思いすら困難だ。だからこそ助けを求めよう。その時御霊の助けが臨む。御霊が働かれる時、全く頑張る事もなく、自然に優しい言葉をかけ、攻撃して来る者のために祈ることができる。まさに自分でなく御霊の働きだ。現実の助けを経験して行く。

 

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自らの無力を認めて、「できません、いや、したくないです。自分で、自分がどうにもなりません」とあるがままを祈りに持って行き、主に拠りすがる時、不思議が起きて、自分が変えられて行くことを幾度も経験する。御霊は助けて下さる。