「主はサタンに仰せられた。『では、彼をおまえの手に任せる。ただ彼のいのちには触れるな』」ヨブ2:6

サタンは、常に虎視眈々と私たちを狙っている。獲物を狙うお腹を空かせたライオンだ。サタンはヨブを攻撃した。しかしそれは、神の許容範囲内であった。主が「持ち物はお前の手に任せる。しかし、身は許さない。次には、身を任せる。しかし、命には触れるな」と命じられた。

 

神の主権により、定められた限界内でしか、サタンも働けない。サタンがどう攻撃して来ようと、最終的権限を握っておられるのは、主だ。つまり、目の前に起こる一つ一つの事が神から来ている。偶然や不運なのではない。サタンに翻弄されているのではない。雀一羽すら父のお許しなしには地に落ちない。

 

人が私たちを批判し、非難し、敵対しているかも知れない。目に見える状況に反応すると、相手への敵対心、憎しみ、裁きが心に湧き上がる。不平と不満、反抗心で一杯になる。しかし、それなら的はずれだ。人しか見えていない。その背後で主権を握っておられるのは神だ。そうであれば対応が違ってくるはずだ。サタンは私たちに攻撃して来る。しかし、主権者であられる神は、サタンすら私たちの益のために、私たちの成長のために利用される。

 

すべての最終的主権は神にある。ヨブは一夜にして全財産と子供たちのすべてを失った。しかし、それらすべてに神の主権を認め、受け入れ、ひれ伏し、礼拝した。主を賛美し、御名を崇めた。どんな状況でも主の御名を崇めて行く事、これは感情でなく、信仰であり選択だ。出来ないからこそ助けを求めて祈ろう。その求めに答えて下さる。

 

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ダビデもサウルから殺意を持って二度も槍を投げつけられた。しかし神はダビデの命を守られた。サタンは主の許可範囲内でしか働けない。しかも、それをも益のために用いられる。サタンをも利用して私たちを益し、成長させて下さる。