「それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです」ローマ8:4

ある人は、子供が、なかなか親の言う事を聞かず、困り果て、子供のために祈る時、いつも「どうか良い子になりますように。親にちゃんと従えますように。神様に従えますように。態度が良くなりますように」と祈っていた。そんなある時、御霊による気づきが与えられた。

 

子供にしょっ中「ああなれ、こうなれ」と口うるさく小言を言っている自分の姿に。つまりは絶えず「お前は、今のままでは不十分だ」と言っている事だと。自分が子供を変えよう変えようとしている事に気づかされた。目の前の子供を受け入れておらず、自分の思い通りにしようとしている。

 

変わるべきは子供ではなく、自分であった。悔い改めて、いっさい家族への要求をやめて、家族に感謝する事を始めた。妻を、子供を与えられている事、家庭を与えられている事に感謝し始めた。そして、家族を幸せにするために、自分は何ができるかを求めて祈った。すると家の中が、何もかもが一変した。暖かい空気が流れ、和やかになり、皆がリラックスできるようになった。

 

家庭が変えられ、オアシスとされた。神の愛が家庭に臨んだ。人を変えよう変えようとする時、そこに裁きと批判と不平不満、トゲが存在し、そこには神の愛は無い。しかし、感謝して行く時、そこに確かに潤いと温もりが流れる。何か冷ややかなものがある時、自らを振り返ろう。目の前の相手を変えようとしていないか。「私を変えて下さい」と祈ろう。その祈りは必ず答えられる。

 

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しばしば、正しいのだが愛が無いという誤りに陥ってしまう。又、本当は相手のためではなく、自分を落ち着かせたいがために、自分のために小言を言う。すると相手に響かないし逆効果となる。御霊はいつも軌道修正し、御心へと導いて下さるので感謝でならない。