「あなたが主のことばを退けたので、主もまたあなたを王位から退けた」Ⅰサムエル15:23

サムエルは、アマレクとの戦いで、サウルに主の命令を告げた「行って、アマレクを打ち、そのすべてのものを聖絶せよ」。しかし、サウルは、命令に従わず、最も良いものを惜しみ、つまらない値打ちのないものだけを聖絶した。サムエルは「あなたが主の言葉を退けたので、主もあなたを王位から退けた」と告げた。

 

するとサウルは「私は罪を犯した。しかし私の民と長老とイスラエルの前で私の面目を立てて下さい」と願った。サウルの悔い改めは、面目を立てるための悔い改めであった。神に対して罪を犯したゆえの悔い改めではなく、罪を犯す=人前で面目を失うという意識だった。これは悔い改めではないので、神との関係の修復にはならなかった。

 

「主もサウルをイスラエルの王としたことを悔やまれた」。私たちはどうだろう。真に御霊により罪を示された時、悔い改めが起こる。御霊からの悔い改めだ。その時、人など思いも及ばない。自分と神との関係の中だけにいる。悔いくずおれる。自分の面目など入る余地も無い。人も体面等も関係なく、ただ自分の罪だけが見える。

 

その罪は、悔い改めにより主の十字架の血潮によって赦され、きよめられる。真の悔い改めだ。神との関係が修復され、平安と喜びが戻る。世の悲しみ=結果が悪かったという、単なる後悔は死をもたらし、真の悔い改めは救いをもたらす。

 

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人前の失敗によるのではなく、御霊によって罪が示され、主に赦されることが本当の幸いだ。悔い改めてまた御霊の実を結んでいける。今、罪が見えているだろうか。主の示しを受け取ろう。