「しかし兄は父にこう言った。『ご覧なさい。長年の間、私はおとうさんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には・・』」ルカ15:29

兄息子は弟のように家出したわけではない。言いつけを守り、父親のもとで懸命に働いた。だが、兄息子にとって父親とはまるで労使関係だ。主人と雇用人で、労働を提供して報酬をもらう。父親にとりこんなに悲しい事はない。

 

親が子供を愛するのは、子供であるからであって、何かをしてくれるから、労働を提供してくれるからではない。信仰者も律法に陥ると、よく勘違いをする。自分の努力によって、神の愛を得ようとし、祝福を得ようとする。神に願いを聞いてもらいたいがために、懸命に奉仕する。

 

ある人が、信仰生活を一生懸命頑張った。その結果、しんどく疲れるので、頑張らない人を裁き、責める、嫌な人間になっていた。自分が絶対になりたくないと思っていたそのものになっていた。神は全能なのに、なぜ自分はこうなるのか。挫折して初めて、自分の力で生きている事を示された。

 

周囲を責め、非難し、裁くのは、自分の力と思いで突き進んでいたからだった。恵みの中で、平安に憩う事を教えられて行った。兄息子は父の心がわからない。本来なら父と一つ心で、父の側に立ち、共に労すべき者だった。距離的には近くいたが、その心は全く父とかけ離れていた。

 

重症なのは、弟以上に兄なのかも知れない。兄にも御父の両手が開かれている。「わたしのものは全部お前のものだ」との大いなる恵みと愛の中に飛び込もう。

 

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父から受けているものは報酬ではなく愛なのに、弟は得だと弟を喜べない心がある。無理をするのは誰のためだろう。愛してくださる御父と愛を持って交わっていこう。