「すなわち、彼はヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに行って住んだ」Ⅰ列王17:5

カルメル山でのバアルとの壮大な闘いの前に、主はエリヤをケリテ川に退かせられた。「ケリテ川のほとりに身を隠せ」、人のいない隠れた場所で、充分な主と交わり、霊的養い、備え、整えを与えるためであった。しばし人からも離れ、密かな主との交わりが、まさに働きのため、又、信仰生活のための原動力だ。植物は根が下に強く張っていないと、上に伸びない。

 

人に隠れた密室での交わりはその根だ。色々な人が証しをしている。早朝から深夜まで余りの激務に、体調を崩して、倒れてしまった人、又、先頭を切って活躍していた中、病気になり入院となった人。最初はガックリ落胆して、落ち込んだが、天井を見つめる静かな時間は、常に後回しにしていた、主との幸いな交わりの時とされ、息を吹き返し、神に立ち返れたと。

 

休養が必要となり、全く動けず、寝床でじっとしている間に、大切なものは何なのか、人生このままで良いのかと、立ち止まる時とされ、仕事に忙殺され、狂っていた優先順位を正される時とされた。時に私たちにも、ケリテ川が与えられる。

 

病気のケリテ川や、入試や就職試験が不合格のケリテ川、思い通りに行かない失望落胆のケリテ川、大きな失敗のケリテ川、別離のケリテ川、そんな時、悲しみや寂しさ、痛みの中で静かに主と交わろう。心を主に向けて、余すところなく気持ちを告げ、御声を聞こう。主はそこで養いを下さり、前進するための力を下さる。新たにされる。

 

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人生の中で、つらく不自由な時こそ祈れ、主の御言葉だけを求める得がたい祝福の時だ。今、大切な養いを受けていると信じて、焦らず主に全てを委ねていよう。