「キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから・・しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないおうにしなさい」ガラテヤ5:1

戦後の民主教育で、自分を主張する事、男女平等、ウーマンリブ、女性は翔べと、自己実現が人生の目的とばかりに教えられた。今では、自分を抑制する事が心の病につながるとまで言われている。今の時代は癒やしブームだ。誰にも拘束されずに、自由に自己表現し、解放されて生きる事が癒やしだと。

 

しかし、自分の欲望に従って、自分の好きなように生きる事が自由なのではない。又、自分に忠実に生きる事が解放ではない。自分の自然の願望のままに生きて行くと、肉はとんでもない事をしでかす。ある人が、人から批判されて、プライドがひどく傷つき、怒りで報復の思いが湧き立った。それは抑えきれず、隠れて匿名で相手を非難攻撃した。

 

しかしそれが発覚し、その卑怯なやり口に皆からの一斉非難の的となった。まさに自分の蒔いた種であり、その事を通して、いかに自分が罪人であるかを思い知らされた。自然に感情の赴くままにしていると、罪を犯したのであり、又、自分の内側には、人を見下し、馬鹿にし、人を傷つけ、攻撃したいという思いがある事を知らされた。

 

古い性質は罪に向かう。真の自由は、肉の声を拒否し、それに従わず、神の御声を聞いて従って行くところにある。御言葉にとどまる時に「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします」だ。自分の欲望を遂げるのでなく、それを拒否し、主の御声に従おう。

 

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主が自由にして下さったのだから、罪を犯さない自由を選択する事ができると御霊は励ましてくれる。御言葉の基準を知っている。選び取れるよう祈ろう。