「見よ。わたしはあなたがたのために、パンが天から降るようにする。民は外に出て、毎日、一日分を集めなければならない。これは、彼らがわたしのおしえに従って歩むかどうかを、試みるためである」出エジプト16:4

神は、出エジプトを果たし、荒野に出た民たちを、40年間養われた。天からマナを降らせられ、毎日1日分だけを集めるように言われた。その日の分だけだ。6日目だけは、2倍集めたるようにと。7日目は安息日であり、集める事ができないからだ。しかしある人々は、主の命令に従わず、欲張って翌日分まで取り込んだが、それは虫がわき、腐ってしまった。

 

又、ある人々は、6日目に2倍集めず、安息日に取りに出た。しかし何も見つからなかった。主はこの事を通して、「教えに従って歩むかどうかを試みられ」た。荒野の40年の間、1日たりともマナの無い日はなく、主が民を愛し養われた。

 

又、これは日ごとの糧を表している。主は、その日その日の必要を必ず与えて下さる。明日の心配はいっさい無用だ。明日の糧を求めよとは言っていない。今日の糧だ。明日のことは明日が心配する。今日1日の糧があれば充分だ。明日の心配は必要無い。能天気でよいという意味ではなく、主が心配していて下さるから不要なのだ。

 

「あなたがたの思い煩いをいっさい神にゆだねなさい。神が・・心配してくださるからです」の通りだ。今日、糧が与えられている事を精一杯感謝して、明日は、主にお任せしよう。主はその人を、どんな時も平安と喜びの中に守って下さる。

 

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明日の心配が無用なのは、主が明日の必要を備えていて下さるからだ。だから明日を思い煩わずに、今日の御心を、今日なすべき事を精一杯行なって行けるように。毎日一日分、主を信頼して生きて行くことを学ばせて下さっている。