「どうか、今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください」Ⅰサムエル8:5

イスラエルの民が、他国の様子を見て、自分たちにも王を求めた。それは、神のみこころに反する事であった。しかし主は、サムエルに、民の声を聞き入れよと言われた。それはサムエルを退けたのではなく、神を退けたのだと。民は自分たちの思いで、王を求めて、神に逆らい、神を退けたのだ。

 

神はサムエルに彼らに厳しく警告し、王の権利を告げよと言われた。しかし、それを聞いても、民はどうしても王が欲しいと言い張った。すると神は、王を立てよと言われた。しばしば、自分が肉で計画した事がうまく行き、画策通りになる時に、これは神が成功させて下さったと勘違いする。神が認めて下さったのだと思い込もうとするが、しかしそうではない。

 

それは大きな誤解だ。神がどうしても行くという私たちに、自分勝手な道を行く事を許されただけだ。どれだけ止めても、忠告しても聞かない頑固な私たちに、思う道を行かせられる。そして、自分がした事の結果を刈り取らせられる。苦い、つらい、苦しい刈り取りになる。その刈り取りを訓練とし、学ばせられる。

 

自我を通すことが、いかに愚かであるかを身をもって知る。蒔いたものは必ず刈り取る。例外はない。肉のために蒔くと、必ず苦しい刈り取りがある。神は侮られる方ではない。今、自分の思いの道に行こうとしているなら、ストップし、方向転換して御霊に従おう。御霊に蒔くなら、大きな祝福を刈り取る。

 

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道は開いても、御心の道ではない道もある。強い思い込みはないだろうか。いつまでも混乱が続き、祝福が見当たらないなら立ち止まって、もう一度初めから祈ってみよう。